公開: 2020年4月17日
更新: 2020年4月18日
プラトンは、古代ギリシャの哲学者です。古代ギリシャのアテネに生まれ、ソクラテスから教えを受けました。その後、数学者のピタゴラスの下でも学び、数学的な考え方を学びました。
プラトンは、ソクラテスが教えた「ギリシャ的善」とはどのようなものであるかを、ソクラテスのように個々の例や、ソクラテス自身の人徳を使って説明するのではなく、誰にでも、後世の人々にも理解できるように説明しようとしました。
その方法として、プラトンは、ビタゴラスから学んだ数学的な考え方を使って、個々の例を集めて、そこから導き出される共通の性質を持った理想像を表現するものを考え、その理想的なものと現実の例とを比べて明らかになる違いを問題にする方法を考え出しました。
プラトンは、そのようにして得られた理想的なものを「イデア」と名付けて、イデアこそ私たち人間にとって、考える価値のあるものであるとしました。個々の例を議論しても何も得られないが、そこから生み出された「イデア」を論じれば、それは人間にとって価値があることである、と教えました。
例えば、数学で議論する直線や円などは、現実には存在しません。しかし、直線や円は、私たちが日常の生活で出会う、様々な「真っすぐな線」や「丸い形」から導き出された共通の性質を持つように考え出された数学上の図形です。個々の線や円を議論しても意味はないかもしれませんが、数学の図形を定めて、その性質を議論することには意味があります。例えば、円の面積はどう計算できるかがわかります。「円」は、丸い線の「イデア」です。
この「イデア論」は、その後、様々な議論を巻き起こしました。そのようにして作り出された「イデア」の像は、数学の直線や円のように人間が考え出したものであり、本当は直線や円そのものは、存在しないものであるとするアリストテレスなどの主張もありました。中世の哲学者である、イギリスのオッカムも、直線や円のようなものは、「単なる名前であり、本当に存在する実体かどうかは分からない」と主張しました。これは、トマス・アクィナスが、「「神」と名前がつけられた対象(または言葉)があることが、神の「実在」を証明している」とする考え方を述べていたからです。この二人の論争は、プラトンとアリストテレスの間の論争に似ています。
人間が使っている言葉で、名詞に相当するもののほとんどは、ある意味で「イデア」付けられた名前です。ですから、その名前が付けられた大元のものは存在していたはずですが、中には、人間が勝手に空想して作り出したものもあります。それらは存在しません。この「言葉があることは、存在していることである」とする主張と、そうではないとする主張は、今の世界でも衝突している考え方です。
現代の物理学者の中に、宇宙空間には目で見ることができないが、「重力を発生させている「ダークマター(暗黒物質)」が存在する」と主張している人たちがいます。この場合、「ダークマター」と名付けられた新しい言葉が作られていますが、本当にそのような「もの」があるのかどうか、実在しているかどうかは確認されていません。だからと言って、「ダークマターがある」とする理論が誤りであるとは言えません。オッカムとアクィナスの「神の存在」に関する議論も、基本的に同じ議論になっています。